退院支援研究会

2019年秋、一年間の活動を振り返る

2019年秋、一年間の活動を振り返る
退院支援研究会 代表 本間 毅

 

【はじめに】
以下の文章を引用される方は、当方への連絡は不要であるが倫理的配慮をお願いする。
我々は、本年9月の第9回まで約3ヶ月に一度のペースで定期事例検討会を続けてきた。そして、この11月に第3回日本リハビリテーション医学会秋季学術集会(静岡)と対人援助学会第11回大会(大阪)の発表を終え2020年を迎える。やや慌ただしいが、仲間達のこれまでの努力と研究成果を公表しないと、自分が全国レベルのほら吹きになった気がするので、しばしおつきあいをいただきたい。

 

【活動内容】
以下に当研究会で活躍してくれた仲間たちを所属のイニシャルと苗字・職種をもってご紹介する。太字は引用した文献の著者と発言者である。2017年5月、対人援助学会の理事長で、立命館大学副学長の中村教授を特別講演「対人援助学の創造~『生きる』を協働することの省察的実践~」の講師としてお招きし我々はスタートラインに着いた。その一ヶ月後に始まった定期事例検討会と、今年度の年次大会の要旨を述べる。
第4回までの事例検討会の内容は、昨年9月にHP:https://tsk2017.com/ お知らせ欄「研究会2年目を振り返る」で公開した。既に目を通された方は第5回からお読みいただきたい。

 

第1回 KD病院 高橋MSW:診療報酬を疾患・患者さんごとに包括して算定するリハビリテーション病棟に入院後、治療を始めたばかりの前立腺がんと新たにうつ病が判明した腰椎骨折の男性に対し、過不足ない医療を行うことで在宅復帰が叶った。前立腺がんとうつ病の治療は一部診療報酬を算定できない。なので、治療しない方がよいのではなく、患者さんの体と受け入れる家族の気持ちを考えれば、それでも治療した方がよいという結論である。

 

第2回 A事業所 乙川ケアマネ:認知症と介護抵抗を示した神経難病進行期の患者さんについて。鍵となるご家族への情報提供のあり方、ケアマネとしてのその方たちやかかりつけ医との間合いのとり方、考える時間が不足した状況での医療選択と終末期を見据えた意思決定支援はさまざまな問題を抱える。

 

第3回 K病院 片桐MSW&西川医師:家族からの支援と制度利用の選択肢が少なく、在宅生活を邪魔するような友人たちが待ち構える家に帰る高次脳機能障害を伴う壮年脳卒中患者さんへの支援。頼りは、長年疎遠だった80代の父しかいない。この報告は「事例検討」そのものの、意味と構造を考え直すきっかけになった。

 

第4回 N病院 竹之内訪問看護師:判断能力は保たれているが、認知症の母と多忙な若い妹を案じ、婚姻関係にないパートナーの援助を受けながら在宅生活を続ける神経難病の患者さんについて。普段は家で時間を過ごしながら、時々入院して最新の薬物療法を受ける必要がある患者さんと家族たちの意向や意思を尊重し、それを共有することを目的とする専門職・多職種間の調整は一筋縄ではいかなかった。

 

第5回 包括F 須貝看護師兼包括支援センター職員:進行性の血液疾患で入退院を繰り返す、身寄りのない患者さんの保証人になっていた民生委員は、急変時の対応や遺体の引き取りまで病院に求められ困惑していた。「医療や介護サービスは血縁者の同意に基づく」と言う前提も身寄りのない方たちへの配慮が不足している。患者さん本人があっけらかんとしているように見えたのは、このような困難に対する防衛機制がなせるわざかも知れない。
生前に葬儀スタイルや費用の支払いについて、クライエントと対話に基づく契約を結ぶ民間の葬祭業者「K会館」の取り組みは、マスコミにも取り上げられたことがあり、行政のモデル事業にしてもよい位の水準であった。結局、職種や専門性に関わらず、必要なのは当事者の声に耳をそばだて、その切実さを共有する姿勢である。

 

と、ここまでの検討会で通奏低音のように鳴り響いた「意思決定支援」を題材に、私はまず2018年9月に対人援助学会第23回定期研究会(京都)で参加者から意見をもらった。2ヶ月後の対人援助学会第10回大会で行ったワークショップの結論は、「支援者は、最終的な到達点をクライエントとともに見据える必要があり、そのためには先入観や不要な優劣関係を引き起こしかねない世の中の空気(患者さん目線とは言えないエビデンス偏重、過剰な功利主義、認知症患者さんとその家族に対する潜在的差別)に注意しよう」だった。

 

第6回 包括A ケアマネや社会福祉士の指導者である小山世話人:「寿命を縮めても良いので、少しは好きなものを食べ、仲間とお酒も飲みたい」と言ったりするので退院の目処が立たない男性糖尿病患者さんについて。この患者さんを支える家族は90代の女性で、患者さんの食事や運動などへの行き届いた配慮を求めるのは現実には難しい。しかし、医療者の中には患者さんのこのような言葉を端から取り合おうとせず、患者さんと家族のアドヒアランス云々と批判するものもいる。これまで医療界で主導的だった「医療にとって疾病や死は敗北であり、それに良し悪しはない」という考え方。そして、ひとたび法律的な問題に発展したら『免責』はなく、実際に世間の批判にさらされ炎上した実例がある。
患者さんや家族のこの種の発言には、その方たちがどうしても譲れない何かが含まれていることが少なくない。いわゆる「安心・安全」が孕む暴力性や、病気や怪我の治療を受ける個々の生命ビオスと、食べ、飲むことができないときに損なわれてゆく根源的な生命以前の無と死を含む生命全体ゾーエーについて、神話学者ケレーニーや精神医学者木村が提唱する鍵概念を学んだ。

 

第7回 私が担当:近年、退院支援は「国際生活機能分類(ICF)」に依拠することが望ましいと言われるようになり、在宅復帰を第一の目標に掲げる回復期リハビリテーション病棟協会ではそれをテーマに先進的な研修会が行われている。そこにACP(アドバンス・ケア・プランニング ‘人生会議’(須藤))の視点が加われば、退院支援はクライエント中心の洗練されたものになるだろう。だが、現実には「医師の指示の下にコメディカルは行動する」という朽ち果てた墓標がこれに立ちはだかる。幾度となく議論された例を挙げると、在宅で誤嚥しながらも家族の介助で少しずつ季節の食べ物に口をつけ、至福の瞬間を感じるターミナル期の患者さんがいる。果実の一切れを咀嚼嚥下するのではなく、口づけてこころから味わう。一方、吸引の機材を備えた医療機関で、その手技に習熟した専門職が一切の経口摂取を禁止することがある。「末期の水」が誤嚥や窒息の原因になると言うならば、最も有効な再発防止策はそれを禁止することだろう。「患者さんや家族の意向を聞きながら、皆で経口摂取の維持を図ろう」という医師の指示は、繰り返される確認を経てやがて消え去る。

医療選択は、かつてのムンテラからインフォームド・コンセントやインフォームド・チョイス、さらにシェアード・デシジョン・メーキングを経て行われることが望ましいとされるようになった。キュアからケアへ、そしてコンソールという三つのC(新谷、臼井)の時代の幕開けである。即ち、クライエントが十分に理解できる言葉で複数の選択肢を提示し、最終的な決定は、医師が単独で行うのではなくクライエントも参加するチーム全体で行い、クライエント側の妥協や、互いに許容できる範囲内なら結論の先延ばしもあり得る。上田が注意を喚起したように、「要素還元主義」を基盤とするICFは、はじめの分析・ふるい分けだけではなく、何度か訪れるすり合わせを通した解釈・再統合というプロセスを経て、「過剰還元」の危険性を脱する。デカルトの言を待つまでも無い。

 

第8回 N病院 鈴木MSW&田畑OT:脳出血を罹患した若い男性は、回復期リハビリテーション病棟を退院して2週間で痙攣が重積し高度急性期の機能を有するN病院に入院した。退院に向けた話し合いは進展せず、病状と大きく解離した家族の希望を叶える転院先が見つからないまま在院日数は5ヶ月を超えた。おふたりが病室を訪れても、患者さんは黙したまま布団をかぶり、その意向を伺い知ることはできなかった。家族のリハビリに対する期待は膨らむ一方だったが、制度の範囲内でそのニーズに応えられる事業所を探すこと自体、困難を極めた。
人があるものと信じているアイデンティティーは、社会や家族との関係の中ではじめて成立する。その関係が病気や怪我によって大きく崩れた時、どのように支援するのが妥当か。ある朝、姿を変えた主人公とその周囲の人間模様を描いた実存主義文学の名作「変身」(カフカ)は、その解答を提出しないまま物語を終えた。語られなかった言葉は、しばしば最も雄弁である。事例検討会を終え、会場の片付けをして帰る私が目にとめたのは、立ち尽くす鈴木MSWと田畑OTの姿であった。

 

話しが前後する。本年5月に開催した年次大会で、主題「介護福祉と退院支援」について神奈川県立保健福祉大学の臼井教授が「介護福祉を巡る断章」と題して講演して下さった。意思決定の場であり根拠になる患者さんと家族の生活に、最も近いところにある介護福祉について学んでみようと思い立ったのが主題を決定した理由である。「親密圏と公共圏」(ギデンス、ハーバーマス)という概念から、ICFの「参加」を家族の生活と、仕事や社会活動の枠組みの中で再構築することは重要である。次に、新潟県社会福祉士会の小山世話人と、県介護福祉士会の樋口介護福祉士が実践報告を交えシンポジウムを行った。最後に参加者全員で行った対話の中で、同僚やクライエントとの「共視」(北山)という関わり方を私が紹介したところ、何人かの参加者から問い合わせを頂いた。私はかつて、痛みを軽減するはずの骨折治療や人工関節手術のあとで、痛みが慢性重症化し複合性局所疼痛症候群(CRPS)に至った方へのナラティブ・アプローチの方法論として「共視」を参考にしたことがあり、この整形外科臨床への応用について日本人工関節学会で発表し同学会誌で論文化した。

 

第8回に戻る。鈴木MSWと田畑OTのプレゼンテーションは、現段階でこれ以上まとめようとしない方が良いと思う。利用した社会資源や、やり残したことはさておいて、おふたりがクライエントとどれくらいコミットできたのか。クライエントと退院後の生活という共通の対象をまなざし、情緒的・非言語的な関係を維持し(内的交流)、わずかな言葉でも思いを語りあった(外的交流)ことこそが重要なのだ。テレンバッハを参考にすれば、支援者が根っから几帳面で志が高いと、気がつけば生活空間が狭まり(自縛インクルデンツ)、生命的時間が停滞して取り返しがつかない気分(負目レマネンツ)に囚われ、八方塞がりになる。目指すべきは、より良い支援ではなく、ちょうど良い支援なのではないか。与えられた役割(ペルソナ)を脱ぎ捨て、幼子を抱く母のような気持ちで素直に語りかけるくらいがちょうど良い支援なのだと私は思う。だが、母子には上下関係や優勝劣敗の意識はないが、「未生怨」(小此木)というやっかいな問題がある(註:生んで大丈夫だろうか、生まなければ良かった、生まれなければよかったという互いの怨み)。「自分が世話をしている子供を、残る家族たちに任せるくらいなら、この子が先に死んでくれた方がよい」と母に懇願された時、親と子、どちらの立場からもそれを肯定することはできないが、何か良い手立てはないかと一緒に考えることはできる。困った時に「助けて欲しい」と言える仲間がいるか否かは、支援者にとって死活問題であると小山世話人は強調した。

 

第9回 M病院 佐藤看護師長&小幡医師:心不全が悪化して入退院を繰り返す、認知機能は悪くない高齢の男性独居患者さんについて。食事・運動などの生活指導をこれまでも何度か行ってきたが、今回の入院は「心不全が悪化すると、こんなにきついとは」と、患者さんをして昔体験した心筋梗塞を思い起こさせるほどに切羽詰まったものだった。このような外傷的記憶のお陰で80代半ばの患者さんが、最初は固まり(freeze)、次いで遁走(flee)しながらいつしか戦い(fight)(ヤング)、思いきって生活全般を変えた。父の姿を見て、お子さんたちの支援体制も著しく変わった。しかしこのことは医療としては成功したのかも知れないが、患者さんにより良い生活をもたらしたのか検証する必要があるとおふたりは考えた。第6回で小山世話人が検討した「死んでも良いので食べたい、飲みたい」という患者さんの思いにもつながる、ラーメンやタラコなど患者さんが愛して止まない「好物」の意味を問い直し、患者さんに歩み寄る支援を行う余地があったかも知れない、ということである。

我々の一生は、家族や仲間との束の間の喜びと、圧倒的大部分の時間を占める苦しみや悲しみからなる。そのひとつひとつの物語を読み解き、支援を行った自分と現に存在する人格が洞察を続け合うことこそが、作った仏に魂を入れる作業になるのだろう。私は次世代のおふたりが、すでに次々世代のスタッフに対し的確な指導を行いながら前世代のクライエントに対する敬意を保ち、支援の水準をさらに高めようとしていることに喜びとともに驚愕(オットー)を禁じ得なかった。「芸術に慰めを求めるのは愚か者である」と言ったのはサルトルだが、慰めに芸術を見いだせないのはその上をゆく愚か者だろう。

 

【あとがき】
数年前まで、私が所属する整形外科やリハビリテーション医学分野の学会では、せっかく入退院・在宅復帰支援というセッションが設けられ、退院調整看護師や相談員たちが頑張って発表したのに、「う~ん、それでは時間が来ましたので、次回まで症例数を重ねて今度は(数で分かる?)アウトカムを出して下さい」と座をまとめる方がいた。だがしかし、今や私たちが全国で配り歩いた当研究会のボールペンやクリアファイルも功を奏し、多くの若い方達が「退院支援研究会」に親しみを憶え、私に名刺交換を求めて下さるようになった。仕事以前に人として為すべきことと、現場の狭間で途方に暮れる対人援助職は少しも減っておらず、だからこそ彼らは「生き残り」を合言葉にせざるを得ないのか、と心配する気持ちもある。でも彼らの少し寂しげだがおおむね輝く表情を見ていると、私はそれでも大丈夫なのだと思う。

今年も引用文献の出典は内緒です。自分で調べてね。もう一つ、当研究会に参加し続け事例検討会でプレゼンテーションを担当した方が、その課程で自分に何が起こったかを言語化して、いろいろな場で学術的発表をして下さるように願う。
昨年の夏以降、カタストロフィーを迎えた私を支え、独りで当研究会の事務局員を務めることになった、私の妻で社会福祉士の本間樹里にこころから感謝し、今年度の振り返りを終える。皆様、お疲れ様でした。来年も宜しくお願いします。

2019年10月 新潟から仲秋の朧月を思う